1. HOME
  2. ブログ
  3. 縄文
  4. 女川縄文フォーラムで何が語られたか?

女川縄文フォーラムで何が語られたか?

本のさかいは、女川縄文フォーラム実行委員会の事務局として、2025年6月21日(土)、夏至の日に、女川町まちなか交流館ホールにて「縄文で女川を盛り上げることができるか?」をテーマとして女川縄文フォーラムを開催、町内外から55名の皆様にご参加いただきました。以下フォーラムの概要をお伝えします。詳細はそれぞれのレポートをご覧ください。

1.里浜貝塚から分かる縄文人の暮らしと縄文を通じた町おこし(菅原弘樹氏 奥松島縄文村歴史資料館 文化財専門官)

里浜貝塚は日本最大級の貝塚で、内湾と外洋の両方を利用できる絶好の立地にあり、3000年以上前から人が住み続けている稀有な遺跡です。縄文人は天然アスファルトを使った釣り針でマグロなどの大型魚を捕獲し、塩作りや栗の栽培管理を行い、山間部と物々交換していました。子供は土器に入れて埋葬し、物を大切に修理して使用する文化を持っていました。

奥松島縄文村歴史資料館は1990年に「奥松島縄文村構想」を掲げ、体験学習に力を入れています。釣り針作りや塩作りなどの体験プログラムを通じて縄文文化を伝え、2001年からファンクラブを設立し、現在152世帯445人が登録しています。

講師のお話を伺い、出島の遺跡について、60年前の調査のため専門家による再調査が必要であり、女川縄文フォーラムに集まる人々がサポーターとなり、学芸員などの専門家との両輪で活動することで、出島の縄文遺跡の活用が進展すると思いました。

2. 世界遺産!大湯環状列石の魅力(大湯ストーンサークル館 学芸員 赤坂朋美氏)

秋田県鹿角市の大湯環状列石は、北東北3県の中心に位置し、十和田湖と八幡平に囲まれた自然豊かな地域にあります。鹿角市は世界遺産だけでなく、3つのユネスコ無形文化遺産やきりたんぽ鍋発祥の地としても知られています。大湯環状列石は野中堂環状列石(最大径44m、約2000個の石)と万座環状列石(最大径52m、約6500個の石)の2つから成り、どちらも二重の円構造を持ち、夏至の日没方向を指す直線状の組石配置があります。

使用された石の約6割は重い石英閃緑玢岩で、約7km離れた河原から運ばれました。重さ200kg以上の石もあり、これほどの労力をかけた理由として、墓、祭祀場、交流拠点、天文台などの可能性が考えられています。重い石の運搬には多くの人の協力が必要で、共同作業自体に儀礼的意味があり、コミュニティの結束を図っていた可能性もあります。

講師のお話を伺い、出島の遺跡も同様に石を運んで作られたモニュメントであり、調査により縄文人の世界観や集団構造が明らかになる可能性を感じました。

3. 女川の縄文人トーク「縄文で女川を盛り上げることができるか?」

女川縄文フォーラムでは、出島の配石遺構が縄文人のカレンダーとして機能していたという仮説が発表されました。堂賀光枝氏の創作物語では、縄文人のジョーが太陽の沈む位置を観測し、食料採取時期を配石遺構で後世に伝えたという物語が朗読されました。堂賀貞義氏は現代の天文学的データでこれを検証し、4つの山(大六天山、高崎山、崎山、石投山)への太陽の沈む位置が見事に1ヶ月ごとのカレンダーとして機能することを確認しました。

平塚英一氏は女川に46か所の埋蔵文化財があり、8つの貝塚を含む豊かな縄文遺跡があることを紹介。回転式離頭銛や碇型の釣り針、日本最大級の遮光器土偶下半身などの出土品があり、本格的な学術調査により更なる発見が期待されるとしました。

渡邊雅樹氏は縄文時代の自然共生をモデルとした持続可能な地域づくりの必要性を述べ、小学生の木村瑛心君とみずはさんは「週末縄文人」から学んだ縄文の魅力を熱く語りました。

4.これからの女川の縄文の活動

女川縄文フォーラムに至る3つの重要な活動がありました。まず2012年秋、東日本大震災後に結成された「対話工房」が地域再生活動の中で、出島遺跡から夏至に石投山の頂上に太陽が沈むことを発見しました。この発見により「縄文人の天文台」説が生まれ、遺跡への関心が高まりました。次に2019年秋、高野信氏が「女川未来会議」で出島遺跡整備プロジェクトを立ち上げ、有志による草刈りや散歩コース整備が継続されています。そして2025年2月、書店「本のさかい」が縄文の勉強会「縄文トーク@女川」を開始し、町内外から20名以上が参加。参加者が講師となる形で勉強会を続け、縄文で町を盛り上げたいという思いが広がり、フォーラム開催に至りました。

これからの活動として、①町への遺跡調査陳情、②夏至の夕日を女川の名物にする取り組み、③学びでワイワイ盛り上がる町を目指した継続的な勉強会の開催を掲げています。イギリスのストーンヘンジでは夏至の日にたくさんの人々が集まります。出島の縄文遺跡についても多くの人が集まるイベントになったら素敵だと考えています。

5.出島の遺跡から夏至の夕日を見る

2025年6月21日の夏至の日、宮城県女川町で「女川縄文フォーラム」開催後、希望者40名近くが出島の遺跡に移動し、夏至の夕日を見ようと試みました。参加者の大半が初めて遺跡を訪れ、配石遺構を見学しながら山と海に囲まれた自然の中で縄文に想いを馳せました。18時半過ぎの夕日が石投山の頂上に沈む予定でしたが、あいにく曇天で見ることはできませんでした。しかし「来年こそは夕日を見たい」という声も聞かれました。

縄文人が太陽を観測し夏至を祝っていたというロマンあふれる仮説に惹かれて遺跡を訪れる体験は意義深く、記念すべき出来事でした。秋田の大湯ストーンサークルやイギリスのストーンヘンジでも古代の人々が夏至を祝っていた可能性があり、現代でも夏至祭が行われています。残念ながら夕日は見られませんでしたが、皆で「来年こそは」という思いを共有するかけがえのない体験となりました。翌日は石投山の頂上付近に沈む美しい夕日を見ることができ、この取り組みはテレビのニュース番組でも放映されました。

6.出島の遺跡の映像(女川縄文フォーラムオープニング映像)

関連記事